research retreat / cultivating memu
Tomoko Hojo

July 5th – July 26th, 2021
Text by Tomoko Hojo (Sound Artist)


寒の季節に向かう11月末、遠く離れた北海道のメムで過ごした目まぐるしい3週間を思い出そうとしている。はじめて訪れたこの地での体験は、大袈裟ではなく本当に目(耳)新しいことばかりで、肌を刺すような強い紫外線で灼かれた日焼け跡とともに今もこの身体に染み付いている。野生のキノコ狩りからはじまり、年に1度沼の水を抜いて行われるシジミ狩り漁の見学や、野生のヒグマ(と思われるもの)、鹿、狐、狸たちとの遭遇、数百羽のオオセグロカモメの大群がいる漁港や海岸脇の竪穴式住居跡での即興演奏、狩りに同行して録音した着弾音など、多様な出来事が凝縮された3週間だった。以下、写真と音源で滞在中の活動を振り返りたい。

聴くこと、命を守ること

北海道広尾郡大樹町に位置するメムは、海に加え山や川にも囲まれた自然豊かな地域である。それゆえに、普段の生活では会う機会の少ない野生の動物や鳥、虫も多数生息している。運転中に道路に飛び出してきたり、飛び立つところを目撃したり、視覚的に認識できればおおよその種別の判別も難くないが、野生生物である彼らは大抵どこかに身を隠している。そのため、仲間を呼んだり、警戒したり、求愛したりしている声を聴くことでその主に対する想像力を広げる必要がある。人に会うよりも野生の生き物にあう頻度の方が高いこの地域では、人間も大きな顔をして歩いているわけにはいかない。彼らの土地に足を踏み入れる際には、敵対心のない侵入者であることをアピールし、耳をすませながら慎重に歩を進める。たとえば、草むらの向こうから興奮した犬のような、それでいて犬よりももっと低い声――まるで熊のような――が聴こえてきた時には、その道が目的地への最短距離であろうとも引き返さなくてはならない。もし自分の命を守りたいのであれば。

ある日の夕方、霧がたちこめるとうもろこし畑でたたずんでいると、聞いたことのない鳥の鳴き声が耳に入ってきた。ここまで静かな環境で鳥の声だけを聞ける環境は珍しく、耳を刺すような甲高い声がよりくっきりとした輪郭を描く。霧で視覚情報が奪われていることも相まって、名も知らない鳥の声が神秘的にあたり一面に響き渡っていた。

鳥の声を録音した場所。鳥の姿は見えない。

環境への身体的な介入=演奏から生み出されるもの

滞在中、様々な場所でフィールドレコーディングをおこなった。これまで作品制作の一部として録音を行う場合には、事前にコンセプトを決め、録音を進めていく過程で録音対象やそれに必要なロケーション、時間帯などの選択肢を狭める、といった手順を踏むことが多かった。今回は意図的にやり方を変え、まず自分が気になった音や場所に身を置いてその場のサウンドスケープを録音し、場合によっては演奏も重ねる、ということを繰り返した。この手法によって、場所に対して生まれる自身の直感的・反射的な反応を発見することになる。

たとえば、海岸段丘上に残る竪穴式住居跡、ホロカヤントー竪穴群では、穴を図形楽譜のようにして捉えたり、円周の縁を歩く歩幅に合わせてリズムをつくったり、海や風の轟音が静かになる穴の中での聴こえの違いを利用した演奏をしたり、また地熱で温められた穴の中にお布団をひいて寝そべったりした。

また、マイクを通すことで初めて出会う魅惑的な音もたくさんあった。年に1回、オイカマナイトでおこなわれるシジミ狩りの際、水を抜かれた沼底の泥と長靴が奏でるネバネバした音や、大樹漁港の水中から聞こえる不思議な呼吸音(それが何らかの生物によるものなのか、海藻類によるものなのか、全く別のものがそういう音に聞こえるのか、真相は謎のまま)など、うっかり聞き過ごしてしまうような、かすかな音たちとの邂逅。

大樹漁港は種類の異なる様々な音が行き交う場所だった。水中の音だけではなく、活気ある漁師さんたちの声、港を行き交う船のエンジン音や波の音、何より餌をもとめてやってくるオオセグロカモメの大群が鳴き交わす声の存在感が大きかった。一羽が鳴き始めると別の一羽がそれに呼応する。まもなくして新たな応答が別の場所で始まったかと思うと、矢継ぎ早に無数の鳴き声が塊として旋回していく。そのうち、ふと静かになったかと思うとまた新たな応答が始まる、という流れが幾度となく繰り返された。数百といるカモメたちは、無数に重なり合うお互いの声を聞き分けているのだろうか?楽器を用いてカモメの織りなす音の循環への介入・対話を試みてみたが、果たして。



聞こえない音が聞こえる?鹿狩りに同行して

滞在中におこなった活動の中でもとりわけ思い出深いのが、着弾音の録音だ。近所に住む猟師の道奈さんとアキさんが畑に出没する鹿などを駆除する際に同行させてもらい、狩りの瞬間を音に収めるという緊張感あふれるミッションだった。

そもそものきっかけとなったのは、お二人の作業場へ鹿の解体を見学しにお邪魔した際の何気ない会話だった。わたしが音を使う作品を作っていることを告げると、道奈さんはおもむろに狩りの時に聞こえる着弾音について語り出した。着弾音とは、文字通り弾が獲物に着地したときにする音のことで、どんな音がしたかによって弾が獲物に当たったのか、まわりの草木に当たったのかを聞き分けられるという。発砲した際の銃声であれば容易に想像できるが、何百メートルも先にいる動物の体に弾が当たる音が果たして人間の耳に聞こえるのだろうか。しかも、この音は狩りの経験を積むにつれて次第に聞こえるようになったというから、謎はますます深まるばかり。ということで、狩りに同行して録音し、実際の音がどんなものかを確かめてみることになったのだ。


結果はというと、驚くことに着弾音はきちんと聞こえていた。ただ、この着弾音の存在を知らなければただのノイズとして聞き逃してしまうような、とても小さい音だった。


土地を耕すためのあそびの時間

今回参加した memu earth labのリサーチ・リトリート(Research Retreat)は、参加者に日常のルーティーンや務めから離れて、静かにゆっくりと考えるあそびの時間を提供する。ここでは、一般的なアーティスト・イン・レジデンス(専門家が特定の土地に一定期間滞在し、制作や研究、発表をおこなうプログラムのこと)とは異なり、制作や発表の責務が課されていない。それは、「限られた期間で何らかの成果発表をしなければならない」というプレッシャーからの解放を意味する。特に滞在期間が短いアーティスト・イン・レジデンスでは、新たな土地や環境と向き合いたくても時間の制約があるため、結果的に作家が取り組んだことのあるテーマや手法を応用する場合も少なくない。それが、「作品」というかたちに落とし込まなくても良いということになると、アンテナに引っかかったものを具に観察したり、場所との対話に時間をかけることができたり、たくさんの新しいアイデアや素材との出会いを受け入れたりする余裕が生まれる。試したかったけれども試せなかった考えを共有し、行き当たりばったりの何があるかわからない場所へ行き、実際に行動に移す。一見簡単に思えることも、常に時間に追われる現代人のわたしたちには意外と難しい。

滞在中、たくさんの寄り道をし、いろいろな人々と出会い体験をしていく中で、自分の中の未開の土地を耕しているような気持ちになった。開墾された肥沃な土地は作物を作り育てていく上で必要不可欠な存在だ。このリサーチ・リトリートはメムという土地の可能性をそれぞれの角度から探ることを主な目的としているが、人が土地を読み直すと同時に、土地によってその人自身も読み直されていくような循環構造を持つことに気づかされる。

冬のメムは、私が滞在した7月からは想像もつかないような雪景色が広がっていることだろう。そこで聞こえる音風景がどんなものか、頭の中で想像してみるがうまくいかない。想像は想像でしかなく、実際に体験してみないとわからないというのも今回の滞在で知ったことの一つ。この目/耳でその風景を確認できる日を夢見ながら、夏に耕された自身の土壌管理を日々しっかりおこなっていきたいと思う。

北條知子 / Tomoko Hojo
https://tomokohojo.net/